「幸せ」の大半は自分が決める。
自分で自分を不幸に追いやる人、居ますよね。
「何か一つ良いことが有ると、このあと悪いことが起こるはず」とか、
「自分なんかが」とか、
「でも」とか「だって」とか。
そういう「思い込み」が、その人を益々不幸にしているのかもしれません。
「カラーバス効果」という言葉をご存知でしょうか。
心理学用語で、「自分が意識しているもの」「見たいもの」ばかりが目に付くようになる現象のことです。
「良いことの後には悪いことが起こるはず」と意識している状態は、この現象に沿って言えば「悪いことを意識して探している状態」とも言えるんですよね。
自分から不幸を望むわけが無いと思いますが、「不幸になるはず」と思い込むと言うのはそういうことだと私は思います。
少し違った見方で「自分はどうすれば幸せになれるのか」と思うのも、私は良くないんじゃないかと思っています。
幸せになる方法が分からないということは、今の自分が幸せではないと思い込んでいることになりませんか?
それが普通であろうと不幸であろうと、自分が幸せだとは思えていない状態を強調するように思えます。
では結局「幸せ」とは何なのか。
もちろん人それぞれ幸せは違いますから、自分の気持ちに向き合う必要が出てきます。
記事の更新をお休みしている間、私の心からの幸せってなんだろう?と考えていました。
・ツンケンしない心穏やかな生活
・自分が暮らしていける分の収入があること
・無理のない程度の労働が出来ること
・美味しいご飯が食べられること
・興味がある分野の勉強をすること
・趣味に十分な時間を割けること
基本的な部分ではこれくらいです。
これが私の健康で文化的な最低限度の生活レベルの願いです。笑
もちろんこれ以外にも細々と、あれが欲しいこれが気になるというものは有るんですが、これらが叶っていれば私は幸せだと感じます。
そしてもう、これらは十分に叶っています。
ですから私は「幸せです」と心から言えるのです。
自分が幸せだと感じていると、どうなると思いますか?
あくまで私の場合ですが、「これがあったら今よりもっと幸せになる」といったポジティブなものがチラホラと目に付くようになります。
そして同時に、ネガティブなものには目が行かなくなるんです。
遠ざかっていくと言っても過言ではないかもしれません。
以前私が自分の能力値にうじうじしていた頃には職場でよく話していた人が、最近では挨拶程度で、これまでのネガティブ合戦が嘘のようになくなりました。
何かきっかけがあったわけでもありませんが、相手にとって必要だったのは「うじうじしていた私」で、「今幸せな私」とではお互いに意識のレーダーに引っかからないのかもしれません。笑
そして最近になってよくお話しするようになった人もいます。
その人は筋トレで理想の筋肉が仕上がると、それはそれは幸せそうに話をしてくれます。
話を聞くついでに締めたい部位別のトレーニング法を教えてくれるので、私の体もほんの少しずつ締まってきたかなと思いたいです。笑
どちらも自分の幸せを自覚する前は起きなかったことですから、私は都合よく「幸せだと思ってたら、更に幸せなことが起きるようになった」と解釈しています。
自分の不幸を心から信じ込んでいる方は「そんなの勘違いだ」と言うかもしれません。
私は根っこがポジティブなので、そのままお返します。
その不幸も勘違いかもしれませんよ。