リモート老眼について考える。
リモートワークなどでずっとパソコン画面を見続けてしまうことによって、
老眼のようにピントが合わせづらくなったりする状態のことを「リモート老眼」とテレビで紹介されているのを見ました。
言わば眼精疲労のヤバいやつと認識すれば良いですね。
ネーミングセンス的にどうなのかという問題は脇に置いて、実際に問題なのは以下の点だと思います。
・一箇所をずっと見つめている。
・一日中ずっと同じ姿勢でいる。
・通勤などの軽い運動が全く無い。
なので仕事に取り掛かる前か後に15分程度の散歩をするか、一時間に一回席を立ってストレッチなどをしてみたらずっと調子が良くなると思います。
リモートワークが出来る方は周囲の目を気にしなくて良い利点が有りますから、思いのまま体を伸ばしたりして血流が滞らないように意識してみてくださいね。
今日はついでに、パソコンやスマホの画面を見続けることによって目が疲れることについても考えてみます。
長時間同じ角度で同じものを見続けているだけでも目は疲れるものですが、
一説にはパソコンやスマホ画面から発せられるブルーライトが水晶体から網膜まで到達することで疲れ目を助長させるとか。
よく寝る前にスマホをいじると眠れなくなる、と言われているのもブルーライトの効果だと言われていますよね。
本当にそれだけが理由なんでしょうか?
私はもっと単純なことが原因だと考えています。
日本の照明が明るすぎるだけだと思うのです。
人の目は明るい時に色々な物が見えるように出来ています。
LED電球なんかは眩しいくらいに部屋を照らしてくれますよね。
良く晴れた昼間のお外くらいに強い光を放つことが出来るそうです。
職場の真の老眼のおじちゃん達も、LED電球の下に行くと「わ~、文字が良く見える~」とキャッキャッと喜んでいるのを良く見かけます。
強い光の下に居ると細かい物まで良く見える。
つまりですよ。
LED電球で煌々と照らされている屋内で、よく見えないからと更に明るい画面設定をしてあるパソコン画面をじっと見つめるということは、よく晴れた日の外で太陽の日差しを見つめているのとそう変わりない状態なのではと思うのです。
気温など他の条件は考えないで、視覚の観点だけで考えてみてください。
朝も昼も夜も変わらず昼間の日差しに晒されて、疲れない人が居ますか?
スマホやパソコン、タブレットなどは使用している本人に向かって昼間の日差し並の光が放たれているわけですから、眠れなくなるのも当然ですよね。
さて、こうしてブログを書いている私もデスクトップパソコンを使っているのですが、
画面の明るさ設定はずっと「1」のままにしてあります。
いえ、10段階とかでは有りません。1/100です。
使用にはなんら不自由ありません。
最近のモニターは本当に出来が良くて眩しいと感じます。
部屋のシーリングライトの明るさ設定も、最低まで設定を下げて使っています。
私は目の色が薄いので、これでも眩しいと感じているくらいです。
よく暗いところで作業をすると目が悪くなると聞きますが、それはずっと一所を見つめている事によって目の筋肉が凝り固まるからというのが原因だそうです。
明るくて目が痛いくらいの状態で作業をする方が、ずっと目には悪いんじゃないかと思っています。
もしもリモートワークで目が疲れたなと感じた時、
休憩をとることももちろん大事ですが、ご自身の照明環境などを見直してみるのも一つの手になるかもしれません。
それでは今日はこの辺で。
SNSの使い方について考える。
フォロー数もフォロワー数も二桁前半のひっそりしたアカウントです。
俗に言う「インスタグラマー」や「万垢」と呼ばれる方々は「フォロワー数」を気にされているようですが、私が重要視しているのは「フォロー数」の方です。
SNSなどの「フォロー数」はイコール「自分がインプットしたい情報を発するアカウント」の総数だと思っています。
友人知人の日常であったり、「この人がRTしてくる情報は趣味に合う」というものであったり、「この人の考え方は自分と違って勉強になる」というものであったりします。
単純に「どうぶつかわいい」だったりするのももちろんあります。
割と厳選した結果の40前後のフォロー数でも、全世界の人が登録しているレベルの広い世界ですから、どこかで何かが炎上していたらTLにRTが回って来ることもあります。
炎上ツイートを見かける度に思うことがあります。
140字という少ない文字数で自分の考えを表現する場で「この人(企業)の考えは自分の考えを否定するものだ」と判断して批判するというのは、浅慮じゃないかなと。
自分と何もかも同じ考えを持つ人なんて、いる訳がないですよね。
自分と違う考えを持つ相手を敵視して、批判的なレスを付けて、自分の意見で言い負かそうとしている人を見ると、もったいないなと思います。
「○○がこう思ってたとかありえん。馬鹿?」
「△△のこと何も考えてないとか配慮無さすぎ、引くわ」
というよりも、
「こういう可能性はないですか?」
「それによってこういう問題点も出てくると思いますが、どう思いますか?」
これくらいの言い方で留めていたらどうでしょうか。
上は煽りと言うか喧嘩腰ですが、下の言い方ならそこは議論の場になりますよね。
下の場合でももちろんその後のレスによっては闘技場みたいになる可能性もあります。
最近はわざわざ炎上させてやろうと粗探しをして、噛み付いていそうなアカウントもいるくらいですね。
そういう人は5ちゃんねるの荒らしと同じものだと認識しています。
下手に触ったり、流されたりしないように気をつけてください。
彼らは心から炎上を愛し、人が傷付くことを糧にして生きているのです。
古くからその存在が認識されている、妖怪のようなものだと思ってください。
逆に「この人の言ってることは正しいんだ。自分も賛同する」と思って、相手の発言を毎回いいね、RTするというのも同じくらい危険だなと思います。
「あの人が良いって言っていたから」と買った商品、「あの人がやってるって言っていたから」と始めた投資、全部真似しても「あの人」にはなれません。
言ってしまえば「新興宗教み」がありますよね、妄信的で。
この人の言うとおりにしていれば全てうまくいく、なんてことは世の中にありません。
自分の行動責任を負うのは結局は自分だけ。
自分で考えて「これは必要だ」と結論付けたものだけが「全てうまくいく」為の決断になるんです。
それはきちんと理解していないと、いつまでも誰かの養分にされてしまいます。
SNSに嵌るのは個人の自由です。
ですがあなたの感情を搾取されないでください。
「なんかしんどいな」と思った時は離れてください。
最後に手元に残るのは、いつだって「自分がした行動の責任」だけです。
「こんなレスを付けて後々自分が後悔しないか」
「この商品を購入するのは本当に自分の生活を振り返った結果か」
ひとつひとつの行動をよく考える。
私も肝に銘じていきたいと思います。
それでは。
社会人学生について考える。
私は今年から放送大学の学生になろうと考えています。
放送大学を選んだ理由は以下の通りです。
・学費が安い。(全科履修の学士で70万ほど)
・オンラインでいつでも授業を受けられる社会人向けの方式。
・最長10年間学生でいられる。(全科履修生のみ)
私は現在三交代勤務の変則シフトで働いていますし、コロナ禍という背景も考えて最も効率的な大学だろうと思いました。
今日はその決意も込めて記事に残しておきたいと思います。
私の最終学歴は高卒です。
元々勉強は得意ではありませんでした。
高校入試の時点で既に自分の頭で考えることを放棄していましたので、志望校だとかは全く考えておらず、なんとか引っかかった所に通っていました。
そして高校2年になろうかと言う時に、親にこう言われました。
「姉を進学させるから、家にはもうお金がない。貴方は高校で終わりね」
誰の目から見てもぼーっと生きてましたので、この時も特に悲しむことも無く、
「そっかあ」
「これからの時代高卒じゃあマトモな仕事無いだろうしなあ」
「フリーターでも良いかなあ?」
と、ぼーっと考えていたくらいです。
あれ、何気に世相を考えていますね。笑
親は多分「中小企業のどこかには引っかかるだろう」と思っていたかも知れません。
残念ながらその期待を大いに裏切り、その後10年以上フリーターをする訳ですが。
さて、そんな私が勉強と再会したのは現在の勤め先の社員登用試験です。
一丁前に大企業ぶってSPI試験なんて実施してくれたおかげで、十年振りに勉強せざるを得なくなります。
参考書を買って問題を解いていく内に、こんな風に思うようになりました。
「あれ?問題が解けると意外と楽しい?」
この時私は26歳です。
同年代は仕事にも慣れて結婚して子供を産んで〜と華々しい人生を送っているだろうに、
ここにきて若い時に放棄したツケである勉強に、楽しさを見出し始めたのです。
YouTubeなどの勉強チャンネルを見ながら、分からないなりに中学・高校時代の勉強をおさらいし始めました。
正社員になってお金に余裕が出来たら、いつか大学に通ってみたい。
その後SPI試験は余裕で通るのですが、二次面接で二回も落ち、三度目の正直でなんとか受かってからもそれまでの事務職から三交代勤務の現場になり、2年間仕事を覚えることを優先してきて「そろそろ良いかな?」と思ったのが今年です。
学生になると言っても、もちろん今の仕事をしないと食べていけません。
社会人学生という二足の草鞋を履こうというわけです。
三十路になって「今更?」と思われるかも知れません。
私の職場にもそう言って笑う人は何人かいました。
ですが、人に笑われても特に感情が動いたりはしません。
私が稼いだお金で私がやりたい事をするのに、何ら恥ずかしいと思うことはありませんから。
これは人生のやり直しではなく、新しいチャレンジです。
人様の新しいチャレンジに対して、個人の価値観で笑い飛ばす人はどこにでも居ます。
そういう人は固定観念に縛られ生きてきた、可哀想な人達なのです。
もしも新しいことにチャレンジする時、誰かが笑ってきたらこう思ってください。
「これの楽しみを知らないなんて、可哀想だな」
もちろん思うだけです。実際に言うと相手は余計にブンブンして、苛立ち紛れに持論をぶちまけてくるかもしれませんからね。
こう思いながら私が口にするのはこれです。
「えへへー、がんばってみまーす」
可能な限りニコニコして、軽い口調で言ってみると、「あー、まあ、がんばれ」と言ってくれる人がほとんどなのです。
これは私が人に恵まれているだけかもしれませんが、実際SNSでたまに見る批判や、誹謗中傷を面と向かって言える人は少ないというのもあるかもしれません。
相手の心の中でどれだけ馬鹿にされたっていいと思っています。
私にはその心が見えませんし、わざわざ聞き出してあげる程の暇もありません。
人の言葉に消耗するより、自分の成長に時間を割いていきたいと思います。
それでは。
人は見た目が9割。
『思考力』についての記事が長い物になりそうなので、以前の記事で挙げた三つのジャンルの内、最後の項目に関する記事を先に書いていこうと思います。
以前の記事はこちらです。
私が「まずはコレ」と考えた最後の項目。
それは『見た目』です。
自我を育てると言いつつ結局は見た目かと思われるかも知れません。
正直に言いますと私は、
「人は見た目が9割」だと思っています。
「話し方」はもちろん大事だと思います。笑
ですがその前に、超えなければならないハードルが有りますよね。
それが見た目の清潔感です。
突然ですが、私は生粋のオタクです。
オタクと聞いてイメージされる容姿通りのオタクをご想像下さい。
申し訳程度にファンデと、流石に無いと不気味だからと描いた眉。
コテで巻くとかしてない起きたまま、乾かしたままのセットされてない髪型。
夏はTシャツジーパン。
冬は熱効率重視のもこもこ着膨れ。
見た目を一切考慮していない機能性重視の靴、カバン。
…どうですか?
積極的に交流したいと思えますか?
例えば恋活・婚活アプリで知り合い、お会いすることになった気になる人との待ち合わせ。
いざ目の前に、毛玉だらけのコートやセーターを着て、ボサボサ頭で目元には目ヤニらしきものが見える人が来たとしたら?
「すいません、ちょっとお腹痛くなっちゃって…」
ってなりますよね!?
そんなどっちも気まずい悲しい事件が起きないように、
最低限の身だしなみを整えることは「要」で「急」です。
まず手に取ったのは、少し前から巷を賑わせている「パーソナルカラー」と「骨格診断」についての本でした。
そこに書かれているテストに自分の体型の特徴を当てはめて、似合う色や似合うデザインの服を知るのです。
スマホやネットを使いこなす女性であれば、やったことあるという方のほうが多そうですね。
知らないという方は是非それぞれをネットで検索してみてください。
心理テストみたいで楽しいです。
もし本を読んでみても分からない方は専門のカウンセリングを受けることも検討してみるのもいいでしょう。
私達は自分の姿を鏡で見れても真に見ることが出来ませんから、人の目を借りるのも大事なことだと思います。
さて、自分に似合いそうな色、服の形はなんとなく掴めて来ました。
次に読んだ本は「服の管理方法」についての本です。
元々、私が服を買う時はこれまで着てきた服が毛玉だらけになったり、見るからに痛んで「着ていく服がない」という極限状態に陥ってからようやく重い腰を上げてきたのですが…。
いざ服屋に入ると「何を買えばいいのか分からない」という混乱状態に陥ってしまっていました。
なのでとりあえず何枚あっても困ることはないだろうTシャツや、周りを見て皆が着ているもの、手に取っているものをチラチラチェックして試着室で着替えて「これはない」と思うものを弾いて買う、という方法でした。
これの問題点がお分かりいただけるでしょうか。
自分の家に合わせられる服が無いのです。
服の枚数的には沢山あるのに、外に出ていけるコーデが無いのです。
買い物袋の中身はコーディネートの主役を飾る「メイン」のものばかり。
タンスに詰まっているのも「メイン」のものばかり。
一つの舞台に一緒に立つのが全員主役と言われると、
どこを見ればいいのか分かりません。
主役は一人か二人でいい。
主役ばかりで方向性を見失った結果、最終的にこれまで着ていた「モブ服」に落ち着くことになり、「通行人A」となってしまいます。
服を買いに行ったはずなのに、買った服を着なくなるのです。
本末転倒です。
幸いなのは私が元々高いブランド服に興味がなく、いわゆるファストファッションのお店でのみ買い物をしていたという点です。
まだ、傷は浅い。
しかし自分で稼いだ大事なお金であることに変わりはない。
じゃあこれからは手持ちの服も、自分のお金も大事に出来るように、しっかりとした審美眼を養おうと思ったわけです。
まずは着なくなった服を処分します。
捨てる基準は以下の2点です。
・よれたり毛玉だらけだったり痛んでいるもの
・自分の体型に似合わないもの
タンスの肥やしはお金も収納スペースももったいないですし何より、
自分がどんな服を持ってるかが分からなくなります。
これだけで似たような服をまた買ってくるミスを防ぐことが出来ますし、痛み具合も分かるようになります。
次に残った服のカテゴリ分けです。
普段着、オシャレ着、夏服、冬服
大体この4パターンに収まりますね。
カテゴリ分けをする事によって、どのカテゴリの服を買い足せば良いのかが見えてくると思います。
服の管理が正しく出来ていると、いざ買いに行く時もジャンルなどの迷いが無くなりますよね。
服の整頓術として、カテゴリ別に広げた服の写真を撮ってスマホに保存しておくというものがありました。
この画像が有れば、買って帰ってから合わせる服が無い=着ていく服が無い!という状態も避けることができます。
そして最後に一番重要な買い物ポイントがあります。
「かわいい!」「かっこいい!」だけで服を買わないことです。
自分に似合う服を買うんです。
一番難しいことかも知れません。
誰だって自分が「好き」と思ったものを手元に置いておきたいものです。
悲しいことですが、「好き」と「似合う」が噛み合うことって中々無いんです。
私もバリバリのモードファッションがかっこいいと思っていますが、それを着こなせる体型かと聞かれたらそうではありません。
好きなものは見るだけで我慢です。
まず自分を客観的に見る目を養いましょう。
長くなりましたが、私が言いたいことが少しでも伝われば幸いです。
今後もこの言葉を胸に刻んで自分磨きに励みたいと思います。
それでは。
自分の個性を考える。
あなたの長所と短所を教えてください。
パッと浮かんだものはどんなことでしたか?
私の場合はこんな感じです。
長所
・職場環境への適応力が高いこと
・周囲に気を配れること
・複数のタスクを同時に処理できること
短所
・職場における気付きがないこと
・人の目線を気にすること
・気が散りやすいこと
・主体性がないこと
・飽きっぽいこと
・学がないこと 等々
パッと浮かんだことはこのくらいです。
短所の方が多く浮かんできませんでしたか?
誰だって自分の嫌なところは自分で目につきやすいんですよね。
「あなたの長所、短所を教えて下さい」という質問は、私がこれまで受けてきた面接でも聞かれました。
前から不思議だったんです。
どうして「長所」と「短所」で分けて答えさせるんでしょう?
長所についてはこんな考えに行き着きました。
自分に絶対の自信は持てないけれど、この面接に通る為には自分をよく見せないといけない。
多少大袈裟なくらいに自分を飾って評価をあげようという、言わば下心のような気持ちが働きますよね。
変わって短所はというと、
これまでの人生の中、自分自信で「嫌だな」と強く意識している部分です。
長年困ってきた分多少の毒が効いてるかも知れませんが、自分的には忌憚のない自分の個性を表現しているんですよね。
面接官は応募者がどういう人なのか端的で忌憚のない個性が聞きたかったのかも知れません。
もちろんマニュアル通りの質問を順番に聞いているだけ、というタイプの面接官もいるでしょう。
けれども頭のいい人はきっと、応募者の個性がどういうものか気付きます。
ここで「じゃあもう変えられないから気にしなくても良いや」と思うのは簡単です。
でも個性って、後付け出来ますよね?
「こういう人になりたい」「こんな生き方をしたい」という、自分にとって明確で本気のやる気があれば、人は何歳からだって新しい個性を身につけることが出来ます。
私個人の価値観ですが、私はそれが「成長」というものだと思っています。
その場でわざわざ盛ろうとしなくても、人に自信を持って答えられる自分を育てればいいじゃないですか。
成長しない言い訳を探すのは、時間の浪費です。
今はインターネットに沢山の情報が溢れています。
お手元のスマホでどんな知識でも得られる良い時代になりました。(もちろん情報の真偽などを自分で確認する必要はあります。)
変わりたいなと思ったら、変えられる方法をすぐに探して実行する。
誰もが胸を張って「これが、私の個性です」と言える時が来たら良いなと思います。
それでは。
体感時間について考える。
充実した時間、過ごせていますか?
一年の終わりに「今年もあっという間だね」という会話は一つの風物詩ですが、
もしかしたら私は、一年何も考えずに過ごして来たせいかも?と思い始めました。
最近は隙間時間を見つけては勉強したり、本を読んだりしている私です。
1日の内に本を何冊も読めた日にそろそろベッドに入ろうかと時間を確認してみると、
思っていたより時間が進んでいないことに気が付きます。
あれ?今日はたくさん眠れるな?
あれ?今週まだ水曜日なの?
そうです。
1日の経過時間がゆっくりに感じるようになりました。
時短のために新しいデバイスを買った、とかではないんです。
本を読みたいが為に、家のことはロボットみたいに終わらせようと気をつけ始めただけなんです。
どういう事かと言いますと、家事のプログラム化です。
「面倒くさいなあ」と思うより前に体を動かしてしまうんです。
私はこんなルールを決めました。
・起きた時に必ずクイックルで乾拭き掃除をする。
・その為床に物を置かない。
・ゴミが出来たらすぐにゴミ捨て用のゴミ袋にまとめる。
・起きたらすぐに洗濯機を回す。
・食事の後のお皿は、流し台に下げた時に全て洗う。
・仕事から帰ったらまずシャワーを浴びて、スキンケアからヘアケアまで終わらせる。
・そしてこれらをする時は、間に別の用事を挟まない。
一つの家事だけに集中して最初から最後まで終わらせるのがポイントです。
一気にあっちもこっちもとよそ見をしたりふらふらしてしまうと、その分だけ脳の切り替えスイッチを入れ替えることになります。
それは同時進行で賢くこなしているのではなく、エネルギーの浪費です。
食事をして満腹の状態でお皿を洗うのって面倒くさいですよね。
私も以前はついつい「明日でいっか」と放置したりする時もありました。
ですが、考えてみてください。
一度流し台に使用済みのお皿を放置すると、
それを見る度に「あ~、お皿洗わなきゃ」とうんざりしますよね。
食後すぐに洗っていれば、本来抱える必要の無かったストレスを自分で生み出している事になります。
不必要なストレスを抱えるくらいなら、
さも当然みたいな顔をしてサッと洗ってしまいましょう。
さて、こんな風に一点集中で家事をこなしてどうなったと思いますか?
夜寝る前にスマホを見ながらグダグダしていた頃は、
あっという間に過ぎ去っていた時間が!
全然進んでないんです!
時間が余りまくりなんです!!
余裕時間があれば、勉強だって読者だって思うがままですよね。
もちろんご家族がある方は現実的に難しい面もあると思いますので、あくまで一人暮らしの私の場合の話です。
今年の年末は「あっという間だね〜」なんて言えないくらい、充実した一年にしたいと思います。
日々のルーティンをロボットみたいにこなせるようにする。
これが私の、最近の時短テクです。
それでは。
人はどうしてミスをするのか。
「ミスは誰にでもある」
誰しもどこかでこんな言葉を聞いたことがありますよね。
ヒューマンエラーはいつでも、どこでも起きる可能性があるのは分かります。
日用品の買い出しでも「何を買うんだったっけ?」と思うことはありますよね?
仕事で簡単なことをミスして怒られたり、買い出しから帰って買うものを思い出した時の自分にモヤモヤする経験は、私にも数え切れないくらいあります。
そもそもどうしてミスやド忘れをしてしまうのか?
作業に取りかかる時の緊張感が足りないのかな?
上司を気にして焦るのがよくないのかも。
行程を覚え切れてないのかもしれない。
とにかく次にやる時までに必死に覚えよう。
全然必要なかったです。
そのことを教えてくれたのがこちらの本です。
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この本は、私の生き方を変えました。
この本に出会う前にいくつかのビジネス書を読み漁っていた私は、
言ってしまえば少し偏屈な思考に陥っていたと思います。
ロジカル・シンキングの本を読んで 「どうしてこれがこうなったの?」「このネット記事の根拠は?」と考える訓練をしていたからです。
とりあえず何でも疑って考えてみる偏屈BBA状態にあった私なのに、この本に書いてある言葉と図解に何も浮かばなくなるほど納得させられたのです。
「人の”脳”がミスをしやすいようにできている」
淡々とこう言われて、どう思いますか?
「そっかー、脳のせいだったかー……」
ってなりましたよ、私は。
「ミスをしないように」と頑張って、気を張ってこなしてきた仕事の数々は、
本書によると、自分の脳を非効率に酷使してきただけなのが分かります。
淡々と、暴力的なまでに分かりやすく突きつけられるその内容に私は、全文を書き写さんばかりに膨大なメモをとりました。
この「メモをとる」という行動も、自分の頭を整理する重要な行動のひとつです。
「覚えておかなければならない」というよりは、
「忘れても大丈夫なようにメモをとる」という理由です。
しっかりしたお高い手帳などをわざわざ買う必要はありませんが、
その方が気分がアガるということならば買いましょう。
そして何でもそこに書き残しておくようにしてみてください。
本当になんでもです。
「職場でこういうことがあった」
「同僚の○○についての話が面白かった」
「○時から部内ミーティング」
「帰りに牛乳を買う」
「野良猫かわいい。先週も公園にいた」
すると不思議なくらい頭の中が片付いてしまうのです。
偏屈になっていた私は「思い込みで頭が良くなった気がしてるのかな?」と思いまして、一週間元の通りぼーっと過ごしてみたんですが、
散らかりましたよね、頭の中。
と言うわけですので、
「仕事のミスが減らない!」「色々考えちゃってまとまらない!」と、
一度でも思ったことのある方は、是非目次だけでも見てみてくださいね。
ちなみに同タイトルで図解されてない書籍もあるのですが、
絶対に図解されている方を読んでください。
分かりやすさが段違いです。
それでは。