「安くて良いもの」が経済を殺す。
こんにちは。
いつになく過激なタイトルになって申し訳ございません。
今回はバブル期以降低迷が続く日本経済についてザックリ簡単に持論を書いていきます。
日本のバブルが弾けた三十余年前、ちょうどその頃から今や日本を代表するような企業さんが本格稼働し始めました。
皆大好き100円均一です。
世間はそれまでの「安かろう悪かろう」から一転、安くてそこそこ使える生活用品が豊富にあって、現代に至るまで他の生活用品店を利用していた消費者を一挙に掻っ攫う程の人気ぶりです。
コンスタントに新商品を店に並べることから「100均パトロール」なんていう言葉も最近は当たり前に聞くようになりましたね。
何を買うにしてもとりあえず100均から探す、なんて人も多そうです。
でもそれを皆がやってしまったら、どうでしょう。
消費者の立場からは余り想像しないかもしれませんが、売値が安いというのは企業さんにとってはものすごい冒険です。
例えば、100円の商品を一日に1000個売ったとして、30日間で300万円です。
そのお店で働く従業員は5人で、1日8時間のフルタイムで働いているとします。
時給が1500円だと仮定したら月にかかる人件費だけでも180万円になります。
もう月の売り上げの半分以上が人件費で無くなってしまいました。
そこから更に家賃や光熱費などを差し引いていくと、そのお店には幾らも残っていない状態になってしまいますよね。
お店の設備も突発的に壊れたりしてしまうかも知れないので、僅かばかり残った数十万も気軽にほいほいと使える訳ではありません。
お店も個人のお家と変わらず、「もしもの時の備え」が必要です。
これでは従業員のお給料を上げるなんてとても出来そうにありません。
これが今、日本で起こっている「デフレスパイラル」の一要因だと私は思っています。
少し強気になってしまいましたが、何も企業を個別に批判したい訳ではないのです。
「良い物を安く売らないと消費者が買ってくれない」というのが問題なのです。
一回が長くなりそうなので、今回はこの辺にしておきたいと思います。
それでは。
コロナ禍で出世のチャンスを考える。
こんにちは。
今回は日本に名だたる大企業で出世していく人の行動を考えてみました。
名前を聞けば「ああ、あの会社ね」と誰もがなるような日本企業は、その大体が古くからある分「いかにも」な日本文化に染まっているんだなと思います。
上役達にとって部下との交流は「飲みニケーション」が基本であり、飲み会に参加しない者は「つまらない奴」というレッテルを貼られるような文化です。
飲み会に参加したとしても、上役が満足するまでハシゴに付き合わないと次の店で「アイツは責任感が無い」とまで言われることも間々ありますね。
勿論今はこんなご時世なので、そんなオジサン達の横暴も鳴りを潜めてはいますが(笑)
ですが日本国内でコロナワクチンが十分に普及し、コロナの感染率が順調に抑えられればいずれはまたこの文化が復活するんだろうな、という空気をひしひしと感じています。
お酒を飲んで若い連中にクダを巻きたいオジサン達は日本全国のそこら中に潜在していて、コロナ禍の現在は少人数でコッソリと飲みに行っています。
そして誠に残念ながら(笑)、そういうオジサン達が「若い連中」の人事に口が出せる程の社内権力者であることが多いのです。
彼等がのし上がって来た方法がソレだからです。
勿論本当に優秀で他の誰も口を挟む余地が無いほどの方や、純粋に個人の能力を見極めてくれる人格者もいることでしょうが、
飲み屋でクダを巻くタイプの上役ほど、飲み会一本で今の地位まで上がって来たと言っても過言ではない方が多いように感じます。
その企業に歴史があればあるほど、飲み会に最後まで付き合うと「分かってるねキミィ!」となる訳ですね(笑)
さて、では気軽に飲みに行けないコロナ禍では難しいじゃないかとなるでしょうか?
むしろコロナ前よりもずっと簡単になったようです。
飲みニケーションが図れなかったここ二年ほどの間にも、順調に管理者へと上がっていく人達が何をしているのかというと、
会社内で、就業時間内に給料を貰いながら、上役の話を可能な限り聞く機会を作っているんです。
月に何度も飲み会が開催されていた頃は湯水のように使っていた「会費」が不要になるだけでなく、話をウンウンと聞いているだけで上司からの「分かってるねキミィ!」が得られてしまいます。
俗っぽく言えばボロ過ぎです。
潔癖な方は「こんな人達がこの会社を動かしてるのか」と幻滅されることでしょう。
ですが日本で大企業と呼ばれる企業さんには多かれ少なかれこういった「社風」があるのです。
勿論「この社風は自分に合わない」と感じたら転職活動を始めるのもひとつの手です。
ですが「どこかにあるかも知れない自分の理想にぴったりな職場」というものは自分で起業するしかないと私は思います。
100%自分の理想通りに自分を扱ってくれる企業はどこにも無いのです。
社風を上手く利用して自分が権力者の側に立った後に「そういうの止めよう」と飲み会文化を断ち切った高潔な方も、私が知るだけで複数居られます。
窮屈さや不愉快さを沢山感じる世の中を自棄になって生きるより、こういう「少しズルい」くらいに生きるのも悪くないなと思えるこの頃です。
それでは。
こんなに平和でいいのかを考える。
また日が空いてしまいました。
最近は仕事に勉強に遊びにと、何かと慌ただしくしているのでそろそろ落ち着きたいなと思いつつ、やはりなんだかんだとバタバタする日々を送っています。
今回の内容なんですが、普段の生活の中で見聞きする情報の中で「何だそれ?」となる事ってありませんか?
それは政治家の発言だったり、有名人の言動であったり、企業広告であったり様々ではありますが「この人(企業)は何が言いたいんだろう?」と。
人によっては内容次第で「自分が(あるいは全く知らない人でも)バカにされた」と思って非難する人もいるかも知れませんね。
興味を引いたニュースがYahoo!さんにありました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/adcb38fc8e0a9e3b13a194d749ecc3aa765b5b40
フジテレビの番組内で、俳優の武田鉄矢さんが仰られたことが記事になっています。
実際にこの番組を見ていないので、どう言ったニュアンスで語られたのかは分かりません。
記事内に有る発言は物凄い痛烈な皮肉です。
そして日本人はこんな状況に立たされても戦わないんだ、という自虐だと感じました。
武田さんは72歳。
日本に学生運動があった頃の世代だと思いますが、その頃の若者の活気と現代とを比べるとそれはもうすごいギャップを感じられるのでしょうね。
「金メダルの2つや3つ〜」と言う発言にも、私は納得せざるを得ませんでした。
IOC会長の発言に引っかかった方も多く居られると思います。
今回だけじゃなくて、これまで炎上してきたものに対して「絶対に許さない」と思う方は多くいるのでしょう。
しかしその方々の多くは「思っているだけ」です。
「あいつはあの時こう言った」とその時々に非難するだけで、大規模な抗議デモを行ったりするようなことは殆どない、「事なかれ主義」が根付いた本当に平和な国です。
この平和を良しとするか、悪しきとするかは本人次第と言うことになりますが、
私は少しずつでも今の日本がもう少し強く変わっていければ良いな、なんて思っています。
妄想の力について考える。
「捕らぬ狸の皮算用」
手に入るかどうか分からないものを当てにして計画を立てることを言うことわざですが、ポジティブにもネガティブにも使えるなあと考えていました。
基本的にはポジティブなことを期待している、といったニュアンスで使われていますよね。
ネガティブな意味では主に「杞憂」とか、「取り越し苦労」といったところでしょうか。
もしも私が今の職場で我慢ならないことが起きたとしたら。
更にそれが絶対に変えられない、職場のルールのようなものが関わっていた時、私の脳裏には心を殺して働き続けるか転職先を探すかの選択肢が出てくると思います。
日本の文化に揉まれながら生きてきた感覚だけで言えば「心を殺して働き続ける」方を選ぶのは当然です。
ただ今日は、こういう状況で転職することを選んだ場合について考えてみます。
まずはネガティブさんのパターンです。
今より良い職場が見つかる保障なんて誰もしてくれない。
社風は?
給与は?
福利厚生は?
人間関係は?
どれをとっても良いと思える会社を見つけ出せるだろうか?
そもそも自分が転職しようと思っていることを、今の職場の人間はどう思うだろうか?
バレてもバレなくても面倒くさいからもう仕事を辞めたい。
まだ入社することも決まってない会社の情報を調べては答えの出ないことをぐるぐると考える。
杞憂と呼べるほどふんわりした悩みではありませんよね。
だって自分の人生の舵をどう切っていくかの問題ですから。
ただこの状態では中々良いと思える会社探しは難しそうです。
次にポジティブさんが考えた場合どうなるでしょう。
ちょっと普段は出さないポジティブを捻り出してみますのでお付き合いください。
今の会社で勉強できることはもう無いかも。
社風も自分に合わないし、転職先を探そう。
次の会社は今より給料の高いところにしよう。
その中でも年間休日が125日以上であればとりあえず未経験でも応募してみよう。
どこかに引っかかればいいなー。
どうでしょうか?
実際ネガティブさんとポジティブさんの皮算用ではこれほど気持ちの重さに差が有ると思います。
もちろんどちらもまだ見ぬ転職先の内情など知るはずもありませんので、言ってしまえばどちらもただの妄想なんです。
なんなら今この瞬間、自分に起きていないことは過去や未来にかかわらず、全てが自分の脳で渦巻く妄想だと言えます。
どちらが自分の気持ちが楽かで考えたら断然後者のポジティブさん、という事になるかと思います。
こう考えれば楽だと分かっていても「自分には難しい」という気持ちがあるのは重々分かります。
私も、私自身を簡単に許せる性格ではないからです。
私が気をつけていることなのですが、そういう方はまず、毎日自分を褒めるようにしてみると良いかも知れません。
何か特別なことをして褒めるのではなく、自分が「出来てごく当たり前のこと」で自分を褒めるんです。
切らしていた日用品を買ってきたとか、今日も怪我無く家まで帰ってこれたとかでいいんです。
なんなら自分の頭を撫でながら、
「~出来た!自分えらいー」
と口にしてみてください。
「自分はえらい」
「自分はできる」
口にして耳で聞くことで更に自分の脳に刻まれていきます。
自己肯定感は他人を巻き込まなければどれ程高くてもいいですからね。
「我こそは生粋のネガティブさん」という方も、こつこつと一歩一歩でも、ものすごくゆっくりでも、一緒にポジティブな妄想をしていけるようになりましょう。
何かをする時は全力を振り切る。
また更新が空いてしまってますね。
前回更新記事の通り、最近はもっぱら服作りの勉強をしています。
4月から学生生活が始まる予定ですので、今全力で遊びに振っている状態です。
さて、世間では仕事も遊びも勉強も満遍なくこなせるのがスマートな人だとする表現もあろうかと思います。
実際に私も「なんでもやりたいから全部一気にやろう」と思ってしまいがちです。
一切合財全てに手をつけて終わらせた方が効率的に見えるのかもしれません。
けれど、実際はそうではなかったんじゃないかと思うんです。
以前に紹介した「図解仕事のミスが絶対なくなる頭の使い方 [ 宇都出雅巳」という本にも書いてあります。
色んな事を一気にやろうとするのは脳に負担をかけるだけの行動。
冷静に考えてみれば、何かをやっている時に同時進行しているものがあると、つい「あっちはどうだったかな」とか考えてしまいがちです。
それにそれぞれの事柄を行き来する時には自分の意思で気持ちを切り替えていかなければ同時に終わらない状況に陥ってしまいます。
それならいっそ、今やることをやりきるまで他の事には手をつけない方が作業に集中できるので効率が上がって、全て終わるまでに時間がかかった様に思えても実際はそんなでもないかもしれないんですよね。
そんな訳で、今の私のエネルギーは洋裁に振り切っているわけです。
いっそここで作った物を披露してもいいのかもと思っています。
誰かの目に映ることを意識すれば張り合いも出ると言うものです。
この辺りのことはまた改めて考えてみます。
折角「考え事」の為のブログを作ったのに、お裁縫ブログになってしまう勢いで色々とやっているんですが。笑
多分来月辺りからはこのブログもかなり更新していくことになるんじゃないでしょうか。
それでは。
「趣味」を考える。
最近はブログを更新していませんが、何をしているかと言うと趣味に勤しんでいます。
私の趣味は多数あるのですが、今取り組んでいるのが洋裁です。
特に洋裁関連のことを誰かに教わったりしていた訳ではありませんので、洋裁本を買い、独学で少しずつ勉強しながらやっています。
何故洋裁を始めようと思ったのか。
着たい服が売ってないからです。
私は身長が低く、世間一般に売られているSサイズでも「大きくて着られている」と感じることが間々有ります。
店頭にXSサイズが置いてあることは少ないですし、身に付ける物を買うならば試着してからでないと大事故になりかねますので、ネット通販を利用するのはリスキーです。
服が無ければ作れば良いじゃない。
というところに落ち着いたという訳です。
しかし、実際問題なにかを作るというのは一筋縄ではいかないものです。
元々小さい方に規格外な体型であることから、基本の作りをさらうのでは「なんかおかしい」を解消するのに修正を加える所が山程有ったりするのです。
更に道具や生地にこだわればこだわる程に時間と手間とお金もかかっていきます。
その試行錯誤も楽しめるので、私にとっては洋裁というジャンルは合っているのでしょう。
さて、世の中には「趣味と呼べるものが全くない」という方もいらっしゃいますよね。
私の周りの無趣味と言う方は、家に帰ってもただボーッとして、テレビやyoutubeを眺めているだけだと言います。
最初に自分の趣味について語っておいてなんですが、個人的には自分の行動を「趣味」というカテゴリにわざわざ当てはめる必要は無いと思っています。
「趣味」という言葉の由来についてGoogle検索をすると、こんな言葉に行き当たりました。
「味覚については議論ができない」
趣味の話なのに何故味覚?と思われるかもしれませんが、現代より何百年も前の時代に遡って考えてみて下さい。
インターネットやゲーム、テレビなどの現代の娯楽が一切無い時代です。
生活していく中での楽しみに「美味しいものを食べること」は大きな割合を占めていたことでしょう。
そんな時代において、「あの人はこの食べ物が好き」「私はこの食べ物が好き」というのは「個性」であり、それが趣味の由来ということだったんですね。
何か物作りをしたり、色んなところに行ったりするのが「趣味」なんだとか難しく考える必要は全くなかった訳です。
現代においてはその人の好きなことを聞きたい為に「趣味」というキーワードを使っているだけなので、ボーッとするのが趣味というのも全然有りです。
「趣味」ではなく「好きなこと、もの」と考えると、色んなものが浮かんで来そうな気がしませんか?
それでは。
オリンピックは泥舟ではない。
連日報道に挙がる「オリンピック組織委員会」の会長決め。
やっと橋本聖子さんで決着がついたかと思えば、今度は橋本さんをいかに叩くかでマスコミはとっても忙しそうです。
よく飽きないな、と思います。
このニュースを見るのにも少し疲れてきています。笑
マスコミが叩けば叩くほど世論が荒れて、まるでオリンピックそのものが穢されていくような感覚さえ覚えてしまいます。
組織委員会の体制が整えば、次に議論されるべきは「東京オリンピックをどうやって開催すればいいのか」だと思います。
私個人としては「出来るだけ早く開催して欲しい」と願っているタイプです。
世界にはオリンピックという夢の舞台を目指して研鑽を積んできた、沢山のスポーツ選手がいます。
彼等には一般人よりも深刻に捉えなければならないものがあります。
「年齢」です。
誰にも平等に降り掛かる「年齢」というものは、オリンピックが開催出来ないからといって止まってくれるものではありません。
日頃のトレーニングを限られた環境で十全にしようと努力する彼等の体力や技量を、時は少しずつ衰えさせていきます。
今は2021年の2月ですから、既に元々の開催予定から半年近くの時間が経ってしまいました。
これまで頑張って頑張って辛い日々に耐えてきた彼等のことを思うと、早く夢の舞台を踏んで輝く姿が見たいと思うのです。
ですが、日本国民への新型コロナのワクチン接種が終わる前に開催するのであれば、無観客で開催するのが最適だと思っています。
無観客でのライブ配信については既に色んなアーティストが行なっていますし、競技場所からの距離ごとにグレードを設定して配信視聴の権利を一般人に売れば収益に出来そうだと思います。
昔のように「テレビのある家に近所中が集まる」という時代でもないですから、こういう方法が一番安全な落とし所ではないかな、と。
政府や行政が有料配信に必要な設備環境や管理者を整えるのにどれだけかかるのかという問題は度外視していますので、個人的には、というお話です。
それでは。